【私とニコン】(エピソード2:デジタルへの移行)
(前回までのあらすじ:シカゴの夜景に魅せられ、フィルム一眼レフF100を購入し、リバーサルフィルムで主に夕景・夜景を撮っていた。)
2001年よりフィルム一眼レフを始めて5年ほど経つと、世の中は徐々にデジタルカメラに移行しつつあるなぁと感じ始めました。そろそろデジタルも勉強しないとダメかなぁと思い検討を始めました。その頃、手が出せそうなのはD100。ただ流石に陳腐化してる感があったので、次機種を待つことに。そうこうしていると、2005年12月にD200が出るとの事で予約を入れました。今振り返るとそこそこ長い写真活動と思いますが、機材を予約購入したのはこの時のみ。よっぽど待ち望んだのだろうと思います。(後に歴史が示す通り、このD200はそれまでになく爆発的に売れたとの事。)
D200の使い始めはraw dataがなんたるかは知っていましたが、1ヶ月くらいはJPEGのみの運用でした。その時の写真を見るたびに、rawで撮っておけばよかったと後悔します(笑)。徐々にraw dataの可能性に気づき始め、当時は有料だったニコン純正ソフトを買い、raw現像をやり始めました。
そんなこんなで、2006年はフィルムとデジタル混在使用の年となり、両方持ち出す時はカメラバッグが重かった(笑)。2007年からはもうフィルムはほとんど使用しなくなりました。世の中のデジタルへの流れとその利便性から、デジタル一眼レフ“D200”での写真活動が2013年まで続く事となりました。
添付写真はD200で撮影。海ほたる、東京タワー、火災前のラハイナの街(ハワイ マウイ島)
【私とニコン】(エピソード2:デジタルへの移行)
(前回までのあらすじ:シカゴの夜景に魅せられ、フィルム一眼レフF100を購入し、リバーサルフィルムで主に夕景・夜景を撮っていた。)
2001年よりフィルム一眼レフを始めて5年ほど経つと、世の中は徐々にデジタルカメラに移行しつつあるなぁと感じ始めました。そろそろデジタルも勉強しないとダメかなぁと思い検討を始めました。その頃、手が出せそうなのはD100。ただ流石に陳腐化してる感があったので、次機種を待つことに。そうこうしていると、2005年12月にD200が出るとの事で予約を入れました。今振り返るとそこそこ長い写真活動と思いますが、機材を予約購入したのはこの時のみ。よっぽど待ち望んだのだろうと思います。(後に歴史が示す通り、このD200はそれまでになく爆発的に売れたとの事。)
D200の使い始めはraw dataがなんたるかは知っていましたが、1ヶ月くらいはJPEGのみの運用でした。その時の写真を見るたびに、rawで撮っておけばよかったと後悔します(笑)。徐々にraw dataの可能性に気づき始め、当時は有料だったニコン純正ソフトを買い、raw現像をやり始めました。
そんなこんなで、2006年はフィルムとデジタル混在使用の年となり、両方持ち出す時はカメラバッグが重かった(笑)。2007年からはもうフィルムはほとんど使用しなくなりました。世の中のデジタルへの流れとその利便性から、デジタル一眼レフ“D200”での写真活動が2013年まで続く事となりました。
添付写真はD200で撮影。海ほたる、東京タワー、火災前のラハイナの街(ハワイ マウイ島)
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コーディー (Kordie)
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03/09
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