メンバーズ・トーク

2025/10/10 14:54

私のNikkor 番外編 「 ニコン Vs. キャノン 」

私のコレクションの一つに、
戦前の1939年(昭和14年)から精機光学( 現キャノン )によって製造された35mmフォーカルプレーンシャッター式距離計連動カメラ S、 "セイキキャノン最新型"と呼ばれている レンジファインダーカメラがあります。
ライカの実用新案に触れないように、ボタンを押すとボディ上面に飛び出す、独立したビューファインダー( 通称 びっくり箱ファインダー) が設けられているのが一番の特長です。
1秒から1/8秒のスロシャッターを装備しているのが当機種で、"S" 型の2号機として " 最新型 "、と呼ばれています。
それより4年前の1935年(昭和10年)に発売されたスローシャッター無し機が1号機で " 標準型 " とされ、この別名 "ハンザキャノン" と呼ばれている機種が、
" 精機光学 " 現キャノンによって、日本で初めて商品化された35mmフォーカルプレーンシャッター式距離計連動カメラだと言われています。

ところがです、この" 精機光学 "のカメラには、
" 日本光学 " 現ニコン 製造のレンズマウントと共に、ニッコール 5cm / f3.5 のレンズ ( 5cm / f2 ・ 5cm / f2.8 付も有る ) が装着されています。さらに、
レンジファインダーカメラの心臓部ともなるピント合わせに必要な距離計部分までも " 日本光学 "にお願いをして、設計製造を委託したもので、"キャノン"による日本初の高級35mm版カメラの商品化は、" ニコン"の技術導入が無ければ成しえなかった偉業で、事実上は、キャノンとニコンの共作、コラボ商品ということになります。

しかし、
開発当時、" 精機光学 "では、レンズの製造技術、ノウハウなどは持っておらず、" ライカ " 等の外国産レンズの使用ではコスト面で合わない為、" 日本光学 " の協力が得られなければ、この高級カメラを国産化することは出来なかった。元から日本光学 ありき での開発だった。レンズの開発費用は全てニコンが負担し、キャノンへの請求は一切なかったとも言われています。
"日本光学" の存在が無ければ、" キャノン "というカメラメーカーが誕生することは無かったとも考えられ、このことが、
"日本光学" は "キャノンカメラ"の "生みの親" だと言われる所以だと思われます。

戦後の1946年よりニコンからのレンズ供給が減ってきたのを期に、ニッコールレンズを手本(完全コピー)として、1号機発売当初から7年ほどかけて開発してきたキャノン独自のライカマウントのセレナーレンズを完成させ、"SⅡ"という機種に搭載して、完全自社製品化にシフトする事になりました。
日本工学も1945年、終戦により軍用光学兵器の受注が減り、GHQより民生用のカメラなどの生産が認められるようになったのを期に、
1946年から、" ニコン "という名称のレンジファインダーカメラの 開発に着手し、2年後の1948年に" Nikon1型 "を完成、販売を開始し、さらに " NikonS型 "へと発展をさせて、以後、両社は、
日本カメラの2大メーカーとて、競合していくことになる。

このカメラを手にして、いくつかの文献を参考にニコンとキャノンの関係を考えてみましたが、あくまでも、私なりの受け止め方で、事実と異なるところがあるかもしれません。

機材サークルに投稿https://photohub.nij.nikon.com/announcements/adl02gdy8wruwy6s

左のレンズは、" Nikon S " 用のレンズ

1件のコメント (新着順)
Hachiro
2025/10/11 09:45

小さな国で、未だにこれだけの機種を製造しているのは、日本だけでしょうね。車も一緒ですね。南方系の海士族や大陸系の方等一つの集団ごとに移住してきた繋がりが助け合いをして発展してきたのではないかと勝手に考えています。争いごとは嫌な国民性なんですかね。


FM-8
2025/10/14 18:31

何時もコメントありがとうございます。