日本写真史(上・下) 鳥原学
読書の秋・・にはまだ早いけど。
文字通り、日本の写真の歴史について書かれている本ですがなかなか面白かったです。
例えば、第一次大戦後。
大正から昭和初期にかけて、写真というものが一気に大衆文化として広がり、グラフ誌がメディアのメインストリームに躍り出てくる。
世界的にいうと、その中心地はドイツとソビエトなんだよな。
メカ的にはライカA型の登場による。
>以上のような写真の動向の基底には、第一次世界大戦の惨禍がヨーロッパにもたらした「精神の危機」と呼ばれるショックがあった。
>ことに革命によって帝政が倒れ、新たな国家体制で再出発したドイツとソ連では、前衛芸術家たちが言語や文化の違いを超える新たな視覚言語の可能性を、写真によるコミュニケーション技術の進歩のなかに見出していた。
なるほど。
日本でも1931年に「独逸国際移動写真展」が開かれ、報道写真や芸術写真、フォトルポタージュのような活動が活発化する。
が、満州事変以降、戦意高揚のための強力な手段として、ラジオや映画と並んでグラフ誌が利用されるようになる。
名取洋之助の雑誌「NIPPON」などは、軍の情報部と裏で結びついて「情報戦」を活発におこなう。
土門拳はそれを批判して、欧米に見栄を張った「文化的虚飾主義」。
日本の軍事力をやたら強調する「恫喝威嚇主義」と切り捨てる。
さらに「旧来の物欲しげな宣伝」から「たくましき報道へ切り替えられねばならない」と言い放つ。
その記事を載せた「日本評論」は、即、廃刊となり、土門拳は国際文化振興会をクビになる。
やるなあ、土門拳(^^)
とかまあ、そんな調子で、日本の戦争報道の実態。
戦後の焼け跡に立った写真家たちの活動。
報道写真の復興から高度成長時代へ・・・
リアリズムの限界と主観主義の台頭。
ヴィジュアル雑誌の登場、表現の多様性、写真黄金時代の到来。
そして、写真のデジタル化・・・・などなど・・・
上巻が1848年~1974年まで。
下巻が1975年~2013年まで、を概観する。
その時代と写真の関係性について語る。
というより、写真というメディアを通して、日本の近現代史を眺めてみるとどうなるのか?
これはですね。
なかなか面白かったです。
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投稿を表示読書の秋になりました。涼しいって素晴らしいですね。
土門拳は、戦中は大政翼賛会の嘱託カメラマン として活動しました。
雑誌『写真週報』など、国策宣伝に関わる媒体に写真を提供しており、戦争遂行を支える「報道写真家」の一人でした。
確かに名取洋之助を批判はしましたが、それは報道の仕方についてであって「戦争報道」そのものの批判ではありませんでした。
戦後、土門拳は自らの戦争責任については、ほとんど語っていません。反省もしていません。
戦後、いい仕事はしましたが・・。
「名取洋之助賞」や「土門拳賞」は、今でも大きな写真賞なのはどうなのでしょう。
鳥原学という写真史研究者は、日本の写真史を一般読者向けに体系的に紹介していますが、「写真家の戦争責任」という発想はないのでしょうか。
その辺はどう書かれているのか知りたいものです。
昨今の情勢では、また同様の写真家がたくさん排出されそうで恐れおののいています。
私のような素人初心者カメラマンの考えることでもないですが、「やるなぁ、土門拳」の一言に反応してしまいました。
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投稿を表示帯が「安全への逃避」なんですね。
不勉強で未読なので、今度読んでみます。
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投稿を表示私は写真論や写真史はあまり読まないのですが、オムライス島さんのご説明が上手なせいかこの本は面白そうですね。(^^)
各社の新書には写真関連のタイトルがポツポツあって、ときどき古本で手に入れて読んでいます。