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【私とニコン】父の思い出とF90X

私が初めて本格的なカメラを手にした機種はF90Xでした。このカメラを入手した経緯には次のようなことがありました。

それはまだ私が若かりし頃、ある日実家に帰省していると、父から急に「カメラを買ってやるから、好きなのを教えろ」というのです。父は先の大戦中に満州で生まれ戦後は苦労して自営の建設会社を立ち上げた人で、酒や賭け事を一切やらず仕事と家族のことしか考えていないような人物でカメラとは無縁だったため、その父から「カメラ」の言葉が急にできてきたのが不思議でなりませんでした。
後日、カメラ店などを回ってめぼしいカメラを見つけて父に連絡しました。
私が当時流行っていたミノルタαの機種を伝えると、父はいまいちな反応で「ミノルタかぁ」と言うので、「じゃ、ニコン」と私が言うと父は「よしっ」と言って私にニコンF90Xを与えてくれました。
その後、程なくして父は大病を患い他界してしまったため、結局「なんでカメラだったのか?」、「なぜニコンだったのか?」は聞けずじまいになってしまいました。

その後、私のカメラも「F」から「D」、そして「Z」へと変わっていきましたが、このF90Xだけは手放さずに手元に置いています。何年か前に鶴見の修理センターでフルオーバーホールをしていただき今も元気に動作してくれます。

そして、このカメラを手に取ると父の思い出と、なぜあの時ニコンのカメラを私に与えたのかの疑問が蘇ってきます。
私の想像ですが、あの日既に父親は死期を悟っていて餞別&形見としてカメラを買い与えてくれたのでは?と思っています。ただ、なぜそれがニコンのカメラだったのかは謎のままですが。
いつか天国で再会した時には、もらったF90Xを見せて、このことを聞いてみようと思っています。

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7件のコメント (新着順)
Ryo Dobon
2025/04/22 10:10

父の話題になり、実家でまだ健在の、高齢の父母のことを、いろいろ考えることがこのところ多くなりました。

そう思っていたところで、小林先生の写真ノートVol.15を読んで、またとても感じ入った次第です。

https://photohub.nij.nikon.com/announcements/vvpnvwns4rtcu8vy


私も先日、「小林先生の写真ノート」を読んで感慨深いものがありました。
小林先生と違って、私の場合、せっかく買ってもらったニコンのカメラで、父の写真をほとんど撮らなかったため、後で凄く後悔した覚えがあります。(若い頃はそんなものかもですが)
そんなことや、またいい歳になったこともあり、カメラで思い出を記録するということが、とても大切なことなんだなと思ったりします。

Hachiro
2025/04/14 15:17

私も高齢者なので、亡きお父様の気持ちはある程度察しがつきます。その当時全く丈夫さと言うか耐久性が段違いでした。Nikonが頭一つリードしてCanonが続く程度で、他のメーカーは比較外だったと思います。私はレストアが好きでよくバラしましたが、NikonとLeicaはネジが固くてパチンと音がしてはずれる位。ミノルタは3回使うとネジが折れるという品質でした。勿論他の部分もしかりです。やや高くて、大きくて、重いと言うのがNikonの定説ですね。何しろFは昭和30年代にシヤッター幕は布製が主流の時代に、既にチタン合金を使っていましたからね。


Hachiroさん、コメントありがとうございます。
やはりそうなのですね。あの時代、あの世代のニコンに対しての信頼は、一種の神格化された程のものだったのでしょうか。改めてニコンを推してくれた父に感謝し、今ニコンのカメラを手に出来ていることを誇りに思います。

私の父は昭和一桁生まれで、私は父から特にNikonさん製品を
譲り受けたことはなかったのですが
私がNikonさん製品を握りしていた時は、

おっ!
ファインダーがとてもいいんだろう?
どれどれ、見せてみろっ!

と身を乗り出し、
話しかけてきたことが印象的でした。

触ってなくても、Nikonさんの製品の特長、良さ、強みが浸透している父たちの世代。
そんな状況を勘案すると、
Nikonさんは、その世代の人たちの誇りであったんでしょうね。

その思いを、今私どもが引き継いで、
その心意気を受け止め、作品を作り続けている。

これは世代をまたいだ喜びであり、
ちょっとした奇跡を普通ごととしてしまっているのかもしれないですね。

当時の思いを今の時代に継承し
当時から今日にかけて、光を追い続けて明日に繋ぐ。
長い年月使い続けれる設計力、保守力、先見力。
改めて、私たちはすごい技術の結晶を手のひらに握っている
そんな喜びに満たされました。

いわとびぺんぎんさん。
改めて、Nikonさんの製品を握りしめてニヤっとしてしました。
素敵なエピソードをありがとうございます!


lab_meeさん、コメントありがとうございます。
仰る通り、あの時代(世代)の方達のニコンに対する評価というか思い入れというか、何か特別なものがあったように思います。そう言ったものが継承された次の世代の製品に触れられているのは、一言では言い表せられないような素敵なことなんでしょうね。

Finder
2025/04/13 19:00

素敵なお話ですね。苦労されている方は、おそらく本物が分かるのだと思います。我が家には、父親の残したレンジファインダーのカメラがありますが、大切に保管しています。カメラは、単なる道具ではなく持っている人、そのものという存在になるような気がします。^^


Finder1さん、コメントありがとうございます。
カメラって何かを残すための物のためか、他の工業製品とは違って使った人の思いや使った時間(記憶)が残りやすいような気がします。Finderさんのお父さまのレジファインダーにも、そういった記憶が刻まれているのでしょうね。

なぜニコンだったのか。
後追いでも、戦艦大和・武蔵の主砲測距儀が日本光学製であったことや、ニコンS型の過酷な環境での信頼性をご存じだったのかもしれませんね。戦後の苦労もあり建設業ともなれば、モノに対する堅牢性・信頼性は重視されたのかもしれませんね。
夢に出て教えてくれるといいですね。


コーディーさん、コメントありがとうございます。
あの頃の世代の方が持つニコンへのイメージというのは、今とは比べものにならないぐらいだったような気がします。信頼性、堅牢性、機械の精度、全てにおいて絶大なイメージだったのかもしれませ。

オムライス島
2025/04/13 10:10

あ、僕も使ってましたよこのカメラ。
今は残ってませんけど^^;
僕は、基本ニコンとキヤノン併用なんですけど・・
ニコンとキヤノンって文化が違うんですよね。
それを如実に感じました、このカメラを買って。
だって、ガチガチに固めてません?なにかにつけて。
内蔵ストロボ(スピードライトって言わないといけないか)周りのプラスチックなんか超分厚いし。
裏蓋を開ける仕組みも、絶対不用意に開けさせないぞっていう。
もうアマゾンでもヒマラヤにでも連れて行ってくれ!っていう無言の覚悟?
その分、重いですけど。
およそ不合理なほどにマジで作っているという。
ああ、ニコンだ!と思いました。
不器用なもので・・・という健さんの言葉が聞こえてきそうな(^^)


オムライス島さん、コメントありがとうございます。
そうなんです、このカメラ、外装がプラスチックなんですがメチャクチャ丈夫で、一度アスファルトの上に落としたことがあるのですが、ボディは全くなんともありませんでいた。(レンズは折れましたが (>_<) )

Ryo Dobon
2025/04/12 21:22

いわとびぺんぎんさん、

私の父は戦時下、小学生で、そのころの話をいろいろ聞いていたので、それを思い起こしました。父もそうですが、父の父、つまり祖父の話もよく聞いており、そう言った記憶は受け継がれていくことで、人間にとって大切ななにかも継承していくのだと思うことがあります。

私は父からは、カメラに限らず、何か物理的な何かを引き継いでいるわけではありませんが、それ以外の様々な記憶を受け継いでいると思ってます。いわとびぺんぎんさんはニコンのカメラとそれにまつわる思い出を受け取られたのですね。すごく伝わってきます。

父上から引き継がれた何かを、何かの形で今の世に残されるのも一つかと思います。写真には、そういう力があるのかなと、最近思います。

ベタな話ですがそうやって生命が引き継がれていくのかな、と思うことがあります。

わからないのに偉そうなこと言ってすみません。


コメント、ありがとうございます。
このカメラを手に取ると、何かしらを引き継いでいることを感じたりします。特にカメラは手にとって操作するものなので、特にそれが強い気がきます。