
小林先生の写真ノート <Vol.15>
桜の頃に想うこと
今年も桜が咲いた。勝手ながら東京では新年度を迎える4月1日くらいに満開になってほしいとつねづね思っているが、温暖化からか、ここ数年は3月20日すぎに満開になって、4月1日には散り始めているということが多かった。今年は私の理想的なかたちとなった。
満開の桜を見上げると、切ない気持ちになる。ほかの花を目にするときと決定的に違う。何故、そんな心情になるのか。あるとき真剣に考えてみた。そして気がついた。
過去の記憶と直接結びつくからだと。1年前、2年前……10年前……20年前とそれは遡っていく。
ちょうど今から20年前、私は故郷、諏訪で一枚の写真を桜の樹の下で撮影した。その数ヶ月前に生まれた自分の娘を、父が抱いている写真だ。大型連休に初めて娘を連れて里帰りした。
諏訪は4月の下旬に桜が満開を迎える。この年もそうだった。
帰省してから、ふと、父と娘の写真を桜の花をバックに撮りたいと思いつき、実家から車で少し走ったところにある田んぼへ向かった。そんなふうにわざわざ出かけたり、演出を加えて撮ることは私にしては珍しいことだった。
桜はすでに満開の時期をすぎていて、葉桜だった。それでも、私は娘を抱く父と桜にカメラを向けた。フィルムカメラ。数枚だけシャッターを押した。
それから1ヶ月ほどたった頃、母から電話がかかってきた。唐突に父が癌であることを知らされた。お腹がいたくて病院で検査を受けたら、それが見つかったという。
事実を知ってから、私は一枚も父の写真を撮れなくなった。それまで農作業をする父を数年に渡り、どれほど撮ったかわからないというに、ピタリとやめてしまった。理由はわかっていた。姿を撮るということは、消えゆくものを記録として残す行為になってしまうからだ。なにより、父にそう思われることを私は恐れた。だから撮れなくなってしまったし、撮りたいとも思わなかった。
それから約8ヶ月後、父は65歳で亡くなった。八ヶ岳が一望できるはずの病院の窓の外は大雪だった。
父が亡くなってしばらくしてからこの写真を見返した。命が一度だけ交差した一瞬の点だと感じた。消えゆく命と新たな命が一度だけ触れ、交わったのだと。写真を撮るという行為によって生まれたともいえる。
当然ながら、撮影しているとき、誰もそのことに気がついていない。私は来年も再来年も同じような写真が撮れるだろうと疑うことがなかった。写真は、時にその後に起きる事実によって、新たな意味を持たされる。(小林紀晴)
