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下駄電とSL旅客が併走するというところがミソですね。ということは複々線区間であり、昭和40年以前だと常磐線のSLが東京駅まで入っていた時かもしれません。日暮里~上野~東京が併走区間かも。
美保は今年も行くつもりでしたが、T4の事故の影響でか、中止になりました。 仕方ないですが、やはり、危険と隣り合わせなんだと実感しました。 辺鄙な場所なんで、美保基地の航空祭はブルーが来なければ比較的ゆっくり撮影出来ます。是非一度行ってみて下さい。
昭和40年9月以前なので該当する列車が特定されるのですが、当時の記憶と列車時刻が異なり困っています。夜間にスハ44の固定座席で下駄電とゆっくり併走する先頭の蒸気機関車を眺めた記憶があるのですが、該当列車がありません。
色は大きな要素ですね。今の電気機関車は鮮やかな車体に個性あるマーキングがあったり、タンク車がきれいな色だったり、見てるだけでも楽しいです。
お褒めの言葉ありがとうございます。 55年前までは都内の上野駅や両国駅から、朝晩を中心に千葉方面へのSL旅客列車を運行していました。主な乗客は、都心への中距離通勤・通学客と「かつぎ屋」と呼ばれる新鮮な野菜や果物や卵を行商するおばちゃん達。次回は、平面ホームがあったころの両国駅です。
お褒めの言葉ありがとうございます。 鉄道ファンでないと分かりにくい部分がありますが、都内でもこんな光景が見られたと懐かしがっていただければ幸いです。
モノクロにつき修学旅行専用車両の濃い目の塗装が分かりませんが、急行に組み込まれると違和感はありましたね。もっともあの頃は、格落ち車両の遜色急行なんて当たり前でしたから。窓全開のしぶき(笑)。
戦前の車両は、電気機関車も客車も国電もみな暗い茶色。戦後の湘南電車や「こだま」形電車特急の登場により、将来に期待を持たせるように一気に明るくなったのではないでしょうか。
ダイナミックな画像、素晴らしいですね。
凄いですね!パッと行って撮れるものではないとよくわかりました(^O^)