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Hachiro
2025/07/16 06:06

豪農の館

稗田には堀で囲んだ村が現存し、独得の景観です。豪雨時には調整池、普段は洗濯場と色々な使い方をしたようですが、敵から身を守る堀の役目が一番だったのでしょうね。

 

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2 件の返信 (新着順)
yumem
2025/07/17 11:16

Hachiroさんの投稿で知らない場所をたくさんご紹介いただいて、行きたい場所がどんどん増えています。ありがとうございます。


Hachiro
2025/07/17 13:16

史跡は貴方の得意分野でしたね。申し訳ありません。私は邪馬台国に少し興味があって九州と畿内との論争中ですが、やや機内にひいきしています。淡路島の五斗長垣内遺跡が発見され、機内での鉄製の武器製造が確認されましたので、何度か撮影を兼ねて行ってきました。当時は鉄の原料は朝鮮半島の物を持ち込み矢じり等の武器を製造していたようです。その場所は育波は(いくは)といいますが、いくはぶは武器を作る人を指しているようで、そのまま地名が残っていることに驚きました。鉄の入手に神功皇后が登場して「三韓征伐」を行って、出産のため官幣大社の「広田神社」が出来たことなどを知り、昨年関係先を撮影に回っていました。鉄の文化を追っているのは、このようなことで高齢者のあがきとお笑いくださいませ。

yumem
2025/07/17 14:26

すみません、コメント先を間違えてらっしゃるのかもしれません。
それでもご返信の内容、またまた勉強になりました。

Finder
2025/07/16 14:38

水に囲まれた光景、まるでお城の外堀ですね~。ひえだ(稗田)と呼ぶのですね。一つ知識が増えました。勉強になりました。^^


Hachiro
2025/07/16 15:40

多分、稗を栽培していたのだろうと思います。驚くのは川から取水しますが、水位を調節する樋が付いていることで、当時最先端の土木技術でしようね。石積みもお城並みですよ。各戸に洗濯場がつくられ、普段はのんびり洗濯。洪水時には溢れる川の調整池、戦時は防御の堀の役目をしたものと思います。