山岳や風景に関連する写真展にはなるべく行くようにしている。とは言っても余程の理由がなければ宮城から東京などへの遠征はしないが、東京に行く予定が決まっているときなどは写真展から逆算してスケジュールを組んだりすることは往々にある。
写真展に行くと写真を見ているよりもキャプションを読んでいる時間が圧倒的に長いことがあるが、先日偶然に訪れた福島県郡山市で開催されていた「土門拳の風貌」もそうだったようにそういう写真展の方が満足度は高かったりする。
国語で「この時の作者の気持ちを述べよ」という問いに、当の作者が間違えるように気持ちを察して理解することはおこがましさすら感じる。文学でもそうなのに、前後の文脈も関連性もない一枚の写真から作者の意図や思いを理解するのは難しいことこの上ない。
そのためキャプションを読むことで写真の見えない背景などが理解できることで満足度があがっているのだと思い、エッセイというにはあまりにも稚拙な駄文を「言語化」とか言いながら掲載するようにしている。
写真を言語化すると言ってみても実際にそこまで撮影時に考えているかといえば、目の前の風景に圧倒され夢中でシャッターを切っている。もちろん構図を整え4辺4隅には気をつけ撮影をするが「生と死の対比」や「季節の移ろい」まで気が回っているとは到底思えない。
キャプションをつけることで悪くいえば後付けになるが、文章で二次創作することで一枚の写真にストーリーが加わっていくと思っている。そのストーリーは決して嘘やフィクションではなく「撮影者」兼「執筆者」たる自身の反射と内観を繋げている。
改めて作品を見てみよう。
漆黒だった夜が明け、岩手山に太陽が昇ってきたら目の前の紅葉が陽光でさらに赤く輝いた。陽光をまとった岩手山が太刀持ち、遠く雲海に浮かぶ早池峰山が露払い様相を呈して目の前の紅葉を支えている。
岩手を代表する岩手山・早池峰山の2座が見渡せる山岳紅葉で山の美しさ・雄大さを表現し太陽と紅葉の赤で暖かみを表現した。
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投稿を表示すぎさんこんにちは。学生時代に鬼ヶ城から登頂し地獄谷から網張へ抜けたことがあります。このような素晴らしい光景が広がることは知りませんでした。
網張から松川温泉へと抜ける有料道路計画があり、大騒動のすえに中止となりました。