アシスタント会
ゆるやかに一年に一度くらいのペースで、アシスタント会なるものを行なっている。2000年代後半から私の元でアシスタント(業界用語で直アシ)だった3人との飲み会だ。 私の事務所では常駐のアシスタントはいつも1人だったが、交代する時期、数週間から1ヶ月ほど引き継ぎの期間を設けるようにしていたため、その過程で彼ら同士が親しくなったという経緯がある。割と年が近いということもある。ただ20代だった彼らもいまでは40代、30代だ。
1月末から2月にかけて年長の鈴木渉くんが、銀座で個展をすることになって、久しぶりに集まることになった。会場で待ち合わせた。写真展は『Everest Eats』というタイトルで、その名の通りエベレストでの食をテーマとしたものだ。小さな写真集も作った。
彼はコロナ禍前に結婚したのだが、新婚旅行でエベレスト街道をエベレストのベースキャンプまでトレッキングに行ったことは何度も聞いていたが、作品を見るのは初めてだった。ほんわかとした優しい雰囲気だった。使ったカメラはNikon New FM2だという。

年齢は鈴木くん、Oくん、Iくんの順になる。誰もが2年から3年のあいだ私のもとにいた。弟子と考える感覚は私にはないが、彼らのあいだでは兄弟子、弟弟子という感覚があるようで、お店を探して予約したのは私だが、Iくんが細々とした連絡係をいつも買って出てくれる。 鈴木くんとOくんは現在、フリーランスのフォトグラファーで、Iくんは出版社の契約フォトグラファー。誰もが写真を続けていることを嬉しく思う。3人とも結婚して子供もいる。だから職業として写真で食べていかなくてはならない。
もつ鍋を囲みながら、昔話をする。話題はつきない。そのことに誰もがどこか自信をもっているように感じられる。アシスタント時代の語るべき体験が多くあるからだろう。私は基本的に聞き役だ。 フォトグラファーとアシスタントだったときの関係とは明らかに違う。リラックスしている。かつて、その関係だった際には少なからずの緊張感があった。
クライアントが存在する撮影では絶対に失敗できない。失敗したら、大袈裟ではなく誰かの人生を変えてしまうことがある。だから緊張が伴うのは当然のことで、これは経験から得たことだが、撮影現場でフォトグラファーとアシスタントの緊張感に差があると、うまくいかない(ときに重大なミスにつながる)。撮影の現場はあちこち落とし穴(ミスの可能性)だらけなのだ。
鈴木くんは2008年から2年間、私の事務所にいた。考えてみれば18年も前になる。撮影依頼が不思議なほど舞い込んで来た時期だった。その頃、私はしつこくフィルムにこだわっていた。鈴木くんはスタジオ出身で、そこでの経験があったのでフィルム交換、フィルムへの番記がとにかく早かった。現場での阿吽の呼吸はとても大事だ。

デジタルカメラに切り替えてからは、現場でアシスタントがする仕事がなくなったとも感じる。Oくん、Iくんはデジタルカメラを主に使うようになってからのアシスタントなので、実はここに大きな転換期が横たわっている。
鈴木くんとOくんとはそれぞれ2回、ある企業の広告の撮影で東ティモールにロケに行った。いずれもハードなロケだった。鈴木くんと行った時は悪路を何時間も車で走り続けたジャングルの先の村まで行ったのだが、カメラを入れていたアルミケースを開けると、シャッターのダイヤルがポロリとはずれ落ちた(激しい揺れでケースとぶつかり取れたようだ)。Oくんは車酔いがひどく、休憩のときに何度も吐いた。Oくんとは別にタイの東北へ、Iくんとはインドへ2回、カンボジアへも行った。
アシスタントとフォトグラファーは不思議な関係だ。単なる雇用関係を超えた、何かがある。過酷なロケ先では運命共同体のような気持ちにもなる。常にアシスタントが1人ということもあり、2人だけで一緒にいる時間がとにかく長いのが最大の理由だと思うのだが。
ロケ先のホテルでは別室のこともあるが、同室のことも多くあった。10日間24時間ずっと一緒ということも当たり前だ。だから誰がいびきをかくのか、誰がかかないのか、誰がトイレからなかなか出てこないのかも…知りたいことじゃないけどよく知っている。

新橋の居酒屋を出た後、鈴木くんとOくんともう一軒ハシゴすることにした。銀座のバーへ向かった。銀座で私が唯一知っている知り合いがやっているお店。Iくんは明日の早朝、地方に選挙の撮影に行くとのことで、そこで別れた。

鈴木渉写真集『Everest Eats』(写真展会期中にすべて完売しました!)
鈴木渉HP https://watarusuzuki.com