こんにちは。暑い日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
最近、あるきっかけからフィルムで写真を撮るようになりました。果たして、いつまでフィルムは存在するのか?なくなる可能性だってあります。だったら撮れるときに撮っておこう、という思いに駆られたからです。

10年以上前に買って、久しく使っていなかったビューカメラを引っ張りだしました。黒檀製のカメラ。一見、シノゴカメラように見えますが、中判フィルムだけが装填できる(シノゴのフィルムは使えません)。レンズはNIKKOR-W 210mm F5.6。これまで長く使ってきたレンズです。撮影には露出計にルーペ、三脚も必需品です。

それを携えて、小学生の頃に遠足で何度も登った山へ向かう。八ヶ岳がよく見えるかです。あいにく八ヶ岳には雲がかかっていたが、その周辺を撮りました。標高約1800メートル。針葉樹の林が続く。熊の出没を警戒しながら。


「生まれ育った場所を撮ることはとても大事なことです。だから、あなたは撮らなくてはいけません」
若い頃、歳の離れたある写真家の方に言われました。けっして忘れることはありません。その方はすでにこの世にはいない。その言葉を撮影中に何度も思い出す。フィルムが存在する限り撮り続けたい。

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投稿を表示私もフィルムで育った年代なので愛着があります。小林先生のお気持ちは良くわかります。登場回数はめっきり減りましたが、6×7版の中判カメラを使っています。春の桜と秋の紅葉だけはなぜか無性に6×7版で撮りたくなります。フィルムはリバーサルを使っていますが、デジタルとは違ったアナログ的な階調、色彩が魅力です。フィルムバックにフィルムを装填し、カメラに取り付け引き蓋を引いて.....と色々なお作法のため速写性ゼロですが、一枚入魂での撮影は充実感がありますね。でも年々フィルムが高価になり年金生活の身にはつらいです。
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投稿を表示自分の生まれた場所は、地球上の小さな一点でしかありませんが貴重な一点です。そこから歩み始めて94年間を、いろんな場所に足跡を残してきました。残念ながら、私の生まれたところは今の北朝鮮の地方都市でしたので、行くことも見ることもできません。全国をまわって風景写真を撮り続けながら、いつも自分のふるさとはこんなんだったかなと、ふと想像することがしばしばです。