
国際電話
台湾滞在中の最終日、ホテル近くの交差点で信号待ちの際に手元のスマフォを見たら、見知らぬ番号からの着信が残されていた。履歴を見ると、海外からの電話のようだった。ほうっておいた。最近、海外からの詐欺電話と思われる怪しげな電話が何度かかかってきたこともある。
夕方、帰国するため空港に向かった。すべての手続きを終えて、数分後の搭乗に備えて、搭乗口近くのソファーに座って一息入れていると、またスマフォが鳴り出した。またもや海外から、それも同じ番号だった。
おそるおそる出てみた。「ニコンの・・・」という日本語が聞こえた。ニコン? 少なくとも、詐欺電話ではなさそうだった。そのあとで、そもそも自分が海外にいるから、+81が頭についた番号のはずで、電話が日本からであることにやっと気がついた。
すると目の前で搭乗が始まった。
「すみません、日本についたら掛け直していいですか?」
そう言おうかなという思いが頭をよぎったのだが、「伊奈信男賞受賞」の知らせだった。2025年4月にニコンサロンで行った「Cyber Modernity 」展が受賞したらしい。驚いた。まったく考えていなかったので不意打ちだった。
「マジですか?」
思わずそんな言葉が口をついた。
伊奈信男賞は1年間にニコンサロンで行われた写真展の中からひとりの作品が選ばれる50年の歴史ある賞で、過去にそうそうたる写真家の方が受賞している。私は6年ほど前にもニコンサロンで展示を行わせていただいたのだが(応募制なので、当然ながら毎回応募しています)、その際、伊奈信男賞の最終選考で最後の2作品に残ったことを、かなり時間が経ってから知った。たまたまホームページを別の理由で見たとき、偶然、記述を見つけた(選ばれなければ特に連絡が来るわけではないです)。
そのときの感情はよく覚えている。発表から時間が経っていたこともあったからか、逃したとか、悔しいという思いでなく、自分らしいなという感覚だった。これまでも他の賞などで何度か最終選考に残りつつ、最後の最後で、次点だったことが複数回ある。そのたびに自分は何かが一歩足りないんだろうなあ、抜けきれないんだろうなあ、とぼんやりとながら自己分析していた。
その後、偶然その際に伊奈信男賞を獲られた写真家の方にお会いする機会があり、「小林さん、最後まで残っていましたね」「そうなんです」という会話を交わした。意外にも初めて悔しいという感情が湧いた。ただ、不思議なことに次こそは、という気持ちにはならなかった。狙うものではないし、そもそも賞のために制作しているわけでも展示をしているわけでもないからだ。
10年以上前に、親しい写真家の方が土門拳賞を受賞したときの言葉を思い出す。電話で祝辞を伝えると、その方は賞には「当たった」と言った。クジとか、食べてたアイスバーに運よく当たりがでた、みたいな言い方がおかしかった。
「当たったんじゃなくて、獲ったんでしょ」と私が返すと、「いやいや、当たった」だけだと繰り返した。本当にそう考えているようだった。
今回、確かに「当たった」という感覚が自分のなかにある。もちろん優れた作品を作りたいと意識して、いつも臨んでいるけれど、狙ったわけでも、そもそも狙えるわけでもない。だから「当たった」の表現は、あるところ正しい。
とはいえ賞はありがたい。写真家の荒木経惟さんが、かつて第1回太陽賞を「さっちん」という作品で受賞した際、「賞は孤独なぼくを元気にしてくれる」という意味のコメントを口にしたと言われているが、その通りだ。作家は基本的につねに1人で制作している。そういう意味では孤独だ。だから不意に誰かに背中を押してもらえると、元気になれる。
