我(わたし)は誰か
9月末、再び台湾へ行ってきた。台風がぎりぎり台湾の南を横切るタイミングだった。私が滞在していた台北では雨と風が強かったが、大きな被害はなかった。ただ、島の東側では大きな被害が出ていた。
台湾へは撮影ではなく、いくつかの目的で向かった。詳細は省くが、その中のひとつは写真展の準備で、11月後半から私が所属している東京工芸大学の写大ギャラリーで行う彭瑞麟写真展「我(わたし)は誰か/捱係麼人/我是啥人/我是誰」(タイトルは日本語、客家語、台湾語、國語(北京語)の順で、いずれも同じ意味を持つ)のためだった。
一年以上前から準備を進めていたもので、いよいよ大詰めを迎えている。これまで自分以外の写真展を企画・構成したことは何度かあるが、いずれも国内で、ご存命の方ばかりだったので、やり取りはそれほど難しくはなかった。
海外の作家とのやり取りは簡単ではないであろうことはもちろん覚悟していたが、思わぬ困難にぶつかることもあった。それでも何とかここまでたどり着いた感がある。作品を管理しているお孫さんのご尽力には本当に助けられた。その方との信頼関係が確実に築けたと私は考えている。
彭瑞麟(ポン・ルイリン、1904-1984)は日本統治時代の台湾で、客家人(17世紀頃から広東省などから移住した歴史を持つ)として生まれた写真家である。1928年に東京写真専門学校(現・東京工芸大学)に入学し、1931年に卒業(第6期生)。日本で写真を学んだ台湾の第一世代にあたる。
この作家の存在を私は昨年の春、偶然に現地で知った(以前、「写真ノート」連載vol.10でもそのことに触れたが、やっとここまで漕ぎ着けた)。その際、お孫さんと連絡がつき、それから計画がスタートした。
一介のフォトグラファーがする仕事としては、相当に力不足だったと思う。本来は知識と経験、語学力を持ったキュレーターという肩書きを持つ者がすべきことだとは重々理解していた。でも私は、なんとか実現したかった。
その原動力となったのは、作品の素晴らしさに尽きる。100年近く前に撮られた同級生のポートレート、日本統治時代に台北に設立した写真館で撮られたポートレート、自らにカメラを向けたセルフポートレートの数々、そして「三色カーボン印画法」と呼ばれる、三つのガラス乾板のネガを制作し、さらに顔料を使って転写する方法で作られたカラー写真。驚いたことに、まったく褪色していなかった。銀塩ではなく顔料だからだ。
この技法で制作することは、現在ではかなり困難を極めることも分かった(技術・知識の伝承が途絶え、経験者がほぼいない)。さらに、日本にはほとんど現存していないことも、調査する中で分かってきた。
ただ、彭瑞麟は人生のなかばで写真をやめてしまう。真相はもはや確かめようもないが、その人生は時代に翻弄され続け、そのこととも深く関係しているはずだ。
日本統治時代に生まれた彼は日本国籍を有し、日中戦争に徴用され、広東省へ通訳として従軍した。自らの写真館は太平洋戦争末期、空襲を恐れた当局から立ち退きを求められ、さらに戦後、国民党による冤罪で逮捕され、釈放される際に多くの財産を失った。台湾では二・二八事件、白色テロをきっかけに国民党による戒厳令が1987年まで38年間続いたが、そのこととも深く関係しているだろう。
そのため台湾では「幻の写真家」あるいは「沈黙の写真家」とも呼ばれ、長く家族の記憶の中にだけ留まり続けていた。
だからこそ、調べれば調べるほど、私はこの彭瑞麟という写真家の存在に惹かれていった。
写真展にはコンセプトが必要だ。さらに、それを印象づけるタイトル。言葉によって全体を一つにくくる必要がある。それが長い間、見つからないでいた。明確にできなければ、ピントが甘いぼんやりした展示になってしまう。その自覚はあった。でも、一年以上、浮かばなかった。
あるとき、台湾の資料をスキャンして、それをAI翻訳にかけていたら(AIの力なくして今回の展示はありえなかった)、ある重要な言葉に出会った。そこから一気にイメージが広がった。その言葉から、彭瑞麟が実に多くのセルフポートレートを残していることに気がついた。不思議なことに、晩年もそれを続けている。
彼は生涯にわたり、みずからのアイデンティティについて考えざるを得なかったはずだ。そのことと多くのセルフポートレートは関係していると私は考えた。日本語が厳しく制限され、40歳を過ぎてから國語(北京語)を学び始めた彼は、四つの言語のはざまで、何を思い、何を望んでいたのか。どの言語によって思考していたのか。そんな問いが生まれた。だからタイトルを「我(わたし)は誰か/捱係麼人/我是啥人/我是誰」とした。
※現在、準備中のため詳細が書けないことをお許しください。次回はより詳しくご紹介したいと思っています。トーク、シンポジウムなども予定しています(私が司会などを務めます)

小林紀晴