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denshakamera2
2026/10/29 21:34

昭和35年12月:キハ81系ディーゼル特急はつかり号:展示会パンフレットと鉄道模型

昭和35年12月10日運転開始前の回送車両を利用して、車両展示会が開催されました。

その展示会でもらったパンフレットは宝物であり、今でも大事にとってあります。

今でこそ人気のキハ81系ですが、これまで人気がなく1/80鉄道模型(所謂HOゲージ)がKTMから発売されたのは1991年(平成3年)でした。

その当時も人気はいまいちで、キハ81系のブラス(真鍮)模型はこれが最後だろうと噂されました。

すぐさま一編成買い求めました。

その後人気となり、今ではプラ製品でもでまわっています。

この写真は、ボロボロになったパンフレットと鉄道模型とを撮影したもので、その顛末を第二の職場の機関誌に掲載した際に撮影したものです。

なお、この模型は上記のとおりの最初期のもので、先頭部は職人が細かい真鍮板をハンダ付けして組み立てたものです。

その後は、この先頭部から型取りしたロストワックス製になっています。

D500+16-80mm
1/1250 f/18 iso800 58mm(89mm)




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4 件の返信 (新着順)
ゆきだるま
2026/10/31 06:26

お返事遅くなってすみません。
このキハ81はくろしお号として
京都鉄道博物館に展示されています。
運転席まで見学できます。
この時代のくろしお号はワタシは知りません。
381系のくろしおです。
白浜に着いたとき乗り物酔いで
マーライオン状態でした。
強制振り子は酔います!

TOSHI
2026/10/30 12:49

お!! なんでも鑑定団に出したいほどのお宝登場。Wikiによると1960年の第2回アジア鉄道首脳会議でお披露目と記されていましたので、それもあって豪華カラーパンフになったのかもしれませんね。


denshakamera2
2026/10/30 14:10

国鉄からJRへの移行時に、東京駅北口の国鉄本社では、引継ぎ先がない資料は全部廃棄されたとのこと。
かなり古い資料は、既に交通博物館に引き取られており、国鉄本社には、歴史的な資料は存在しないとの判断であったようです。
これは国鉄100年誌が昭和49年に全19巻完成したこととも関係します。
一部のOBが慌てて本社で廃棄資料を回収したようですが、このようなパンフレットの類いは、真っ先に処分されたようです。
趣味的にみると残念です。

Hachiro
2026/10/30 05:05

昭和35年当時のパンフレットはカラーのものが使われている貴重なものですね。日本中がやっと一日お腹一杯に物が食べられるようになった時代。100万長者と言ったころでカラーTVが50万くらいでしたか、その頃のパンフレットをお持ちとは本当に宝物ですね。ミニカーもすごいものです。


denshakamera2
2026/10/30 08:38

この当時は、カラー刷りでも写真はモノクロが普通でした。
このパンフレットは2枚の走行写真と3枚の室内写真の5枚すべてが天然色です。
国鉄東北支社名のパンフレットですが、本社の運転部局の総力を挙げて作成されたものと思われ、
各車両で使われるエンジン型式や電源供給系統まででてきます。
本社広報ではこのようなパンフはできません。
技術屋の心意気のようなものが垣間見えるパンフレットです。

makun
2026/10/29 21:52

キハ81系というのは初耳でした。前照灯が特徴的ですね。国鉄がこんなパンフレットを配布してたのも知りませんでした!
模型の方はさすがHOと言うべきか作り込みが細かくて、運転台の色もリアルで感動しました。(^^)


denshakamera2
2026/10/29 22:30

キハ81もキハ82も80系キハなんですが、東北特急はつかりに使用された編成は、先頭がボンネットのキハ81、中間の食堂車がキサシ80で走行用エンジンが搭載されないなど、クセが強いので、これらの車両を特に区別してキハ81系と呼ぶことがあります。
ボンネットキハ81は、貫通路がないため、特急はつかり号から特急つばさ号、特急いなほ号(+間合ひたち号)、最後に特急くろしお号と転々とし、最後は大阪の交通科学博物館で保管されました。
今は京都鉄博にいるはずです。

makun
2026/10/29 23:15

食堂車、懐かしいですね。ただのカレーが特別なものに感じられました。(^^)
それにしてもキハ81、82、80、細かく分かれていますね。勉強になりました。

denshakamera2
2026/10/30 00:00

戦前の食堂車は「洋式」と「和式」(トイレみたいですが・・・)がわかれており、一二等客は洋式で三等客は和式とされたようです。
戦後はこのような区別はなくなりましたが、昭和30年台以降の特別急行用食堂車は洋食が中心で、普通急行用の食堂車は和食の提供が普通だったようです。
特急はつかりのパンフレットにはナイフフォークを使う姿が描かれており、なんとなく二等客はくるな、みたいな感じでした。
ちなみに一等車(現グリーン車)は昭和30年台後半まで、幹線のほぼすべての普通列車にも連結されていました。
これは公務員の出張旅費が一等車で支給されていた(昭和25年旅費規程)からであるとのこと。
この規程の改正(昭和30年台後半)をうけて、普通車への一等車の連結が徐々に減ったとされます。

makun
2026/10/30 02:53

いつもながら、とても興味深いお話をありがとうございます!
洋式と和式の話は初めてうかがいました。「文明開化」の名残りでしょうか。内田百閒の阿房列車の世界ですね。(^^)