神奈川県平塚市の旧横浜ゴム平塚製造所記念館『八幡山の洋館』の薔薇です。5月10日から20日までに4回撮影に行きました。健康の為、ウオーキングで、チャーリーで、そして妻と一緒に車で、花壇の様子も少しづつ変化して楽しい撮影でした。個別に投稿していた作品と未投稿のものを併せてこの洋館の全体がわかるように編集してみました。
国道一号線から入った八幡山公園の眺めです。この洋館は、全体が薔薇の花で囲まれています。
洋館の入口スロープにも薔薇の花壇があって訪問者を迎えてくれます。色々な種類が咲いていて長い間楽しめるようになっています。西向きのせいでしょうか?5月10日に行った時にはこの場所の赤い薔薇は咲いていませんでしたが、19日には、綺麗に咲いていました。
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薔薇の庭園は、洋館の北側にあります。綺麗に植えられた何種類の薔薇は、いつ行っても綺麗に咲いており、その表情は少しづつ変化してるように感じられました。ボランティアの方が痛んだ薔薇を剪定していつも綺麗に見る事が出来るように花壇を保っていたのです。種類によって咲くタイミングが違っている事から変化を感じたのだと思います。
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洋館の美しさは、ルネット又は、ローマンアーチと呼ばれる半円形の窓の美しさです。この窓に薔薇を重ねるとヨーロッパのの薫りのする良い光景になりますね~。
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綺麗な薔薇の写真を撮影出来たのも薔薇の花を剪定して綺麗な状態に保って頂いているボランティアの方のおかげだと思います。ありがとうございます。^^
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洋館の中の室内です。アンティークな雰囲気が素敵でした。
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第二会議室から出たベランダです。ここから薔薇園を見る事が出来ます。
薔薇園のある八幡山公園には、子供たちの明るい声が響いていました。この文化遺産が時代を超えて残されていく事を願っています。^^
ご覧いただきありがとうございました。
旧横浜ゴム平塚製造所記念館の歴史をダイジェストしました。
明治37年(1904)2月~38年(1905)9月の日露戦争で日本海軍が使用した火薬(砲用発射無煙火薬)の全量は、当時、日本と同盟関係にあった英国からの輸入に依存していました。戦後、日本国内では無煙火薬国産化の必要性が痛感され、火薬製造所建設の地に平塚が選ばれます。
明治38年12月、日本火薬製造株式会社(明治40年日本爆発物製造株式会社と改称)が、日英同盟のもと日本海軍とアームストロング社、チルウォース社、ノーベル社の英国三社の合弁会社として平塚町と大野町に跨る官有地と民有地を買収した38万坪(後に42万坪に拡大)の地に本社ロンドン、支店平塚として設立されます。
製造所の建設は、英国ノーベル社よりカリーが工場建設監督、ウィルソンが補助として来日、また日本海軍技師市岡太次郎などによって開始され、工場施設の完成は明治40年末ごろといわれます。その中で本建物は、英国人支配人の執務室あるいは住居として建設された、といわれます。
昭和20年(1945)8月の終戦とともに火薬廠が廃廠となって、その使命を終えます。戦後は、米軍により接収され、昭和25年、横浜ゴム株式会社が、本建物を含む一部敷地の払い下げを受け、主に応接室や会議室として使用されました。平成16年、本建物は横浜ゴム株式会社より平塚市へ無償贈与され、八幡山公園に移築され、今後の保存と活用のため復元されました。
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投稿を表示先日からこちらの写真を拝見させて頂いて、
早くコメントをしたいと思っていました😄✌️
実は私もこの場所で撮影をしていたんです😄
素敵な場所ですよね!
なんか急に懐かしくて、また行きたくなりました。
去年行ったんですが😅凄く昔のように感じました(笑)
人物の撮影をしていました!
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投稿を表示天気のいい日はチャーリーもいいですね、僕もよくエレクトリックチャーリーで近所の公園に行ったりします、でも八幡山の洋館までで行ったらチャーリーのバッテリーも僕の足も心臓も持ちません(残念)