台湾鉄道紀行 その2 (前回の続き)
花蓮で数日撮影をしたあと、さらに新自強號で台東へ向かった。2時間ほどの旅だ。

台北―花蓮と同じくやはりビジネスクラスに乗ったのだが、日本からネットでチケットを予約する際、「駅弁」を予約することができた(ちなみに台湾では日本統治時代の影響で便當と書き、台湾語ではベントーと発音する)。せっかくなので購入してみたのだが、そこだけに日本語ではなく台湾華語で日本語には訳されなかったので、そのため適当に頼んでみた。日本の飲料メーカーの緑茶があるのだけは漢字の字面からわかった。

実際に運ばれてきたのは、写真のような牛肉と卵、野菜がのった牛丼のようなもので意外とガッツリ系だった。味は少し甘め。

今回の旅では初めてタブレットを旅の友とした。目的が日本統治時代の建造物、古蹟などを訪ねることなので、これまでは紙の資料をかなりの量たずさえて来た。ただ、ひとつのホテルを拠点とする撮影スタイルだったので、この方法でも荷物が増えても問題なかったが、移動が多い今回の場合は労力が増すことになる。そこで、タブレットに切り替えることにしたのだ。本当は紙の方が好きでしっくりくる。紙の方がメモ的なことをその場で書き込めるのがいいし、何より頭に入る。ただ、紙の資料は膨大な量になるし、そもそもプリントアウトしなくてはならない。ネットで探した情報も、毎回プリントアウトしていた。それはそれで、かなりの労力を要した。それらの理由から、今回初めてタブレットにしてみた。有益なネット情報はそのURLをタブレット上に作った表に整理して貼り付けて、撮影しながら見るという方法。つねにフィールド上でもwifiに接続状態でなければならないのだが・・・意外とスムーズに行った。
台東では、台北在住の台湾人の友達から、その友人を紹介してもらった。
「あなたと、きっと気が合うから、よかったら会ってみて」
未知で不安はあったが、せっかくなのでお会いすることにした。
その方にホテルまで迎えに来てもらった。大学で演劇を教えているというYさん。おそらく40代。ずっと劇団などで活動していたという。向かった先はホテルから歩いてすぐのところにある日本の居酒屋。店主(台湾人)が友だという。Yさんは何故か日本の写真と写真家に詳しく、お酒の力も借りながら、楽しい時間を過ごすことができた。Yさんは明日の早い飛行機で1週間ほど台北に仕事で行くと言いながらも最後はワインまで開けてくれた。

私はそれから4日間、台東に滞在しながら撮影をした。夜は毎晩Yさんが教えてくれた居酒屋へ向かった。特別、日本料理が食べたいわけでもない。でも、足が自然と向かう。
台北、花蓮、さらに以前の撮影で訪れた別の街では台湾料理をたくさん食べた。どれも美味しく、それを食べることにはもちろん抵抗はまったくない。
でも、日本の「生ビール」の誘惑に負けてしまった。台湾では瓶ビールがほとんどなのに対して、このお店には日本のビールメーカーの「生ビール」の生が置いてあった。連日、昼間は30度を超える猛暑のなかで撮影をしていたのでかなり魅力的に思えるのだった。
若い頃は、旅の途中で一度でも日本食を食べたら「負け」だと真面目に考えていた。1ヶ月くらいの旅になると日本のラーメンが無性に食べたくなるのが常だったが、とにかく耐えた。「負け」たくなかったからだ。一度でもそうすることを軟弱だと考えていた。
でも果たしてあれは何に「負け」たくなかったのだろうか。何が軟弱だったのだろうか。逆に、私は何かに勝ったのだろうか。
4日連続、1人で現れる謎の日本人を店主は暖かく迎えてくれた。そして日本の生ビール。いま私はこれを負けとは考えない。純粋に至福のときと思える。そもそも若い頃は1人で居酒屋に入ることもかなり勇気を要した。いまは平気だ。「おじさん」になったからか。
食べたいものを食べて、飲みたいものを飲めばいい。若い頃の自分に言わせたら軟弱になったのかもしれない。それはそれで認めよう。でも、それでいいのだ。