メンバーズ・フォト

yumem
2025/11/11 17:26

昨日、奈良で...

この度の奈良行きのひとつめの目的は、GAKU347さんのメンバーズ・トークへの投稿で知りました「森山大道さんの写真展」です。美術館へ行く途中に立ち寄れる場所に頭塔があります。この見学がもうひとつの目的でした。

頭塔は、ゴールデンウィークおよび秋の正倉院展と同期間に一般公開されていて、これまで二度ほど行ったことがありました。昨日は、秋の正倉院展最終日でしたので、これは絶好の機会とばかり奈良行きを思いついたわけです。

JR奈良駅からいろいろ撮り歩きながら、ようやく頭塔の近くに到着。でも入口が見つからない。手前にあったホテルも更地になっていて、これは嫌な予感が...。

どうやらホテルの跡地が工事中のため、この度は一般公開がなかったようです。

南側の入口には、近くの管理会社で鍵を借りれば見学ができると張り紙がありました。一般公開前の見学方法に戻ってしまったようです。

一般公開ですと、期間中ボランティアガイドさんが常駐していて詳しい解説が聞けました。頭塔は仏教建造物のひとつで、日本で現存する同様の建造物は奈良のほかに、堺市の土塔町(頭塔ではなく土塔という名称)と岡山県の熊山遺跡だそうで、このことはガイドさんに教えていただきました。

国道側から撮ると、以前はホテルがあったため見えなかったその姿が見えるようになっています。

いつでも見学できるなら後日でも良いわけですから、奈良市写真美術館へ向かうことにしました。

さて美術館前に到着すると...あれ?。

月曜日は休館日です。閉ざされた人気のない美術館入口を見ながら、呆然と立ちすくむおっさんひとり。我ながら、自分のあほさ加減に呆れてしまいました。

この写真は頭塔へ到着する前に撮ったものですが、まさかこんな使い方ができるとは。とりあえず撮っておけスナップですね ^^

気分的には、こんな感じでした。

紅葉にはまだ少し早いし、あとは奈良公園で鹿でも撮るしかないのか、と。

(22:15に、開催期間などの間違いを修正しました)

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1 件の返信 (新着順)
Hachiro
2025/11/11 18:16

頭塔という言葉も知りませんでした。にわかに好奇心が湧いてきましたね。岡山の熊山はたぶん備前市の隣だと思います。息子がいた白陵高校がそこにありましたから。全部行ってみます。


yumem
2025/11/11 22:08

奈良の頭塔は、中に解説パネルがあったと思います。柵があって数メートル離れたところから見学しました。見学した2019年にGoogle Mapsで私が書いた内容の抜粋です。

東西南北に向かう摩崖仏が塔の四面にあるが、発掘復元されたものは三面にとどまっている(中断した南側は発掘前の状態)。独特の雰囲気を醸し出している石仏部の瓦屋根は、石仏の保護目的で設置した後付け。

同じ年の年末に、堺市の方へも見学に行きました。当時撮った写真を見たら、堺市は頭塔ではなく「土塔」という名称で、行基の建立と説明パネルに書いてありました。土塔町公園内にあります。
五年前なのに、すでにいろいろと忘れていますね、私。^^
岡山の熊山遺跡にも行きたかったのですが、翌年からコロナ禍に突入してしまってすっかり忘れていました。

Hachiro
2025/11/12 05:38

私なりに記憶をたどりながらいろいろと調べてみました。土塔と言う地名。赤磐市熊山にある塔からは溶鉱炉の模型が出ていることから、渡来系の土木や製鉄の技術を持った集団が暮らしていたようですね。堺は例のそり、修羅を使った重量物の移動を行い沢山の古墳建設にあたったと推定しています。熊山も岡山白陵高校に長男が在学していましたので何度も近くまでは行っておりました。ここは川があり砂鉄の採取とたたら鉄を作っていたものと思います。備前長船の名刀が出来たのとつながりますね。私は写真を撮りながら鉄の文化の究明と、日本民族の到来などに興味を持ち調べていますので、貴重なきっかけを頂きありがとうございます。昨日有馬温泉に行っておりましたが、この温泉を発見したのも行基和尚ですから面白いですね。

yumem
2025/11/12 08:58

なるほど製鉄の共通性があるわけですね。
渡来系集団と拝見して、「あれ確か...」とスマホで撮った説明パネルの画像を見直したら、土塔の造営協力者に「百済の君」の名があったと書いてありました。
よくよく読んでみたら、行基の父親が百済の王仁を先祖とする一族なのですね。
行基の名は、いろんなところでよく見かけるのですが、専ら説明パネルやボランティアガイドさんたちの説明だけの知識しかありません(それも結構忘れています)。
これは時間を作って、NDL(私は通信サービスの利用登録をしているのでかなり広範に閲覧できます)を漁って関連書籍を読んでみないといけないですね。
面白くて好奇心をくすぐる素敵なお話ありがとうございました。

Hachiro
2025/11/12 09:33

朝鮮半島に高句麗、新羅、百済、伽那の4国のうち新羅が統一して、後は殆ど日本に避難したようで、新羅の皇太子は土木事業が得意で丸山川の治水工事をしたことでそばの出石で氏神として祭られ、桃太郎が退治した温羅は百済の王子ですから、製鉄、土木建築の技術、そうそう暦や天体学もすべてもたらされ、日本の礎を築かれた学者や技術者です。面白いので素人考古学者が撮影しながらボケ防止をしています。つまらないことに引き込んで申し訳ありません。出雲の神楽を見たりすると温羅退治がなんとなく分かります。

yumem
2025/11/12 15:55

いえいえ、大変興味深いお話でした。
堺の土塔を撮ったなかに、遺構断面展示の見学希望の連絡先が書かれた張り紙がありました。
考古学的ご興味に見合ったものかどうかわかりませんが、ご参考になればと思って、NIKON IMAGE SPACEの方でご覧いただけるようにしました。下記リンクをクリックいただければ、その張り紙が表示されます。
https://img.gg/liE9DXJ
2019年末に撮影したものなので、現在は状況が変わっている可能性がありますので、その辺りご留意ください。

Hachiro
2025/11/12 16:18

貴重な情報をありがとうございました。堺の土塔は元大阪大学教授の山崎先生が自ら研究している「先住民族論」の説明を現地ですると言って連れて行ってもらったことがあります。私の幹部学校が堺にあり、当時先生は図書館長でして、私は35歳くらいの時ですから、ずいぶん前のことですが、修羅の話や藤井寺付近の建築物など、また言語から見た日本。例えば「阿蘇」マーレシァ語で煙、「ムサシ」アイヌ語で草などいろんなことの講義を受けましたが、若造で興味もなし、それらが今役に立つとはね。一度調べてみたいと計画しています。

Hachiro
2025/11/23 18:17

今日、岡山県赤磐市の熊山遺跡に行ってきました。現地で分かったことは標高500数十メートルの熊山の頂上に土塔や猿田彦神社、熊山神社、二つの湧き水、溶鉱炉跡などがあり、棚田として開墾や農作をしていた跡もありました。肝心の土塔は石を野面積みで積んであります。多分一番古いものではないかと推察しています。大阪のものと比べて石積みが素朴です。すぐ近くに備前長船の集落があり、ここの刀鍛冶が熊山神社にお参りしていたようですから、間違いなく鉄を製造していたんだと思います。沢山写真に収めていますし、今後大阪の2つを見てみたいと思いました。

yumem
2025/11/23 19:43

想像していたものより、随分と小ぶりなので驚きました。
素朴な石積みですが、後付けの着色がない分、素の迫力が違いますね。
奈良の頭塔も堺の土塔もそれなりにフォトジェニックですが、熊山遺跡のような圧倒的な存在感はありません。(いつか実物を見に行きたいと思いました)
熊山遺跡の写真とそれらにまつわるお話、ありがとうございました。m(__)m

Hachiro
2025/11/24 04:57

熊山駅も子供が卒業して35年ぶりに行きましたが、様変わりして道が全く分からず、お巡りさんに聞くと、入り口まで案内してくれました。標識も適当で距離も全く書いてないし、5ナンバーの車でぎりぎりの道幅ですから、行かれるときは小さいお車が必要かと思います。熊山自体が石で出来ていて、その頂上に鎮座しています。謎に包まれ、一説には鑑真和尚が建設したともいわれていますが、探検は幾つになっても楽しいですね。お粗末でした。

Hachiro
2025/11/25 15:51

今日京都の大覚寺を撮影してから、堺へ回りました。凄い規模ですね。貴兄が投稿されている奈良の頭塔と熊山の土塔はどちらも龕が付いていて仏塔と言うのが分かりますが、堺の物は素人考えでチョット違うようにも思います、盛り土をしてやたらと瓦を使っていたり、横に薦池を掘ったりしていますので、防災工事というか堰堤を作り、池は治水対策のテストのために作ったのではないかなという気がしました。50mを超える規模や、池も大きいですし、大和川の治水工事かなんかのテストじゃないかと勝手に思いました。

yumem
2025/11/26 17:15

兵庫県から同日中に、京都の嵯峨野から泉北へ移動されての撮影ですか!
堺市の土塔は、私もかなりがっかりしました。深く考えずに現代感覚でアレンジしたんじゃないかと思います。
池に関しては、土塔建立の行基が(土塔町の南東側に位置する)巨大な狭山池の大工事にかかわっていたりしますから、(狭山池から河内、泉北へと連なる)溜池ネットワークの一環だったのかもしれませんね。

Hachiro
2025/11/26 17:58

この近くには仁徳天皇陵があったりしますから、土木工事のスペシャリスト土師氏も住んでいたところで、地名もありますよね。瓦に名前を書いて盛り土に入れていたことなどから、お城の壁に石や瓦を練りこんだりするアイデアのテストかなと色々楽しんでいました。ここが唯一ほかの2か所と違うのは、お墓ではないということです。多分熊山と奈良はお墓ではないかと思います。貴兄が撮影された頭塔は龕に庇が付いていますので、だいぶ熊山より身分の高い方の墳墓と推定します。私は鉄の渡来を通じて日本に渡ってきた人を研究しながら、撮影していますので、貴方のおかげで随分と前進しました。最初の都も近畿と信じていますので、近くに住んでいてよかったですね。ちなみに土師氏が名前を変え、菅原や秋篠になり、著名な道真は元土師氏です。後は奈良に行くつもりです。