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信号所で乗り降りできたらいいですね。箱根登山電車でやってくれないでしょうか。(^^) DD54は短命だったんですね。C57が補機とは、それはそれで豪勢?な話ですが。
一年間で低下した体力がなかなか戻らないです。医者からは12キロの機材もOKとは言われているのですが、筋力がなくなりました。 近場から少しづつ遠出してみるつもりです。減量していないのに体重が自然減なのも懸念しています。
手術の方は成功して完治と聞きましたが、復帰は当分先ですか。私も当面はムリですがお大事に。
SLの三重連は東北本線の奥中山のD51や花輪線の竜が森の8620もありましたが、布原が遅くまで残っていました。本来は旅客扱いの無い布原信号所で、国鉄の計らいで鉄道ファンの乗降と鉄橋の横断も認めていた良き時代でした。 DD54は故障が多く走行中に推進軸が折れて横転する事故や、不安の為にC57を前部補機
SLブームの最頂点に立つ存在でしたね。伯備線のD51の他に、芸備線や姫新線(津山区を含む)のC58も入ってきて大所帯でした。
D51三重連とはすごいですね。 DD54も知りませんでした。マイバッハのエンジンのライセンス生産だったんですね。 マイバッハといえばタイガーI型戦車のエンジンなので、親近感?いっぱいです。(^^)
私は来年5月の復帰を目指しているのですが、どうなりますことやら。
懐かしいです。布原の三重連。 新見には最盛時にC58+D51が30両以上配置されていたとか。 扇形庫にずらり揃った機関車もみごとです。
専用線を走るのであれば日本方式が世界一ですね。 在来線も走る欧州や、踏切で大型トレーラーを吹き飛ばす米国での評価がいまいちです。 「シンカンセン」が独立別線を意味するアジアでは、やはり日本の新幹線方式が最適解です。
撮影から数年後に所用で釧路へ飛んだときにはTDAのDC9で一日に5往復ありました。 その時に札幌から参集したメンバーはDC特急おおぞら利用で日に3往復。 今は道内どこへ行くのも羽田ですね。 先日親族が女満別から羽田へ帰宅したのはADO/B738でした。 しかしJAL/ANA別々なのは不便です。